やればできる やればおこる 

今週のお題「読書感想文」

飯田進氏の『地獄の日本兵

これおすすめ。ここ数年よく言われている、太平洋戦争における日本兵の死因の1位は飢えによるものという話のニューギニアに出兵されていた元兵士の方々からの情報をまとめたもの。

なにもこれを読んで戦争反対を声高に話すわけではないけれど、戦争に負けるということ、戦争にかかる膨大なコスト、見えないものがドンドンわかってくる。その上で戦争はロマンでは片付かず、あらゆる学問の融合体であることを実感する。

勝っている戦争、もしくは結果的に勝った戦争はかっこよく未来の人たちは捉える。幕末や戦国時代のロマンはそこにもあるように思えるが、20世紀に行われた戦争は多くのデータを今に残した。そこから戦争の実態と、敗北に必要な要素を徹底して伝える。

この本には当時のニューギニアで戦った日本人たちの悲惨な状況が記されている。ただそこで思考を止めてはならない。日本兵の人たちが可哀想……それは表面の薄皮すら救えていない。

この戦場での悲惨さを思うとすれば、可哀想ではなく、大きく括れば戦死かもしれないけれど、戦場で死ぬことが出来ず倒れた人たちを靖国に奉るということに、心のどこかに引っ掛かりを覚える。戦場で死んだと家族を思ったかもしれない。だからこそ靖国に魂が行ったと思うのだろう。

当時の国民の、特に開戦期における出兵に関してのモチベーションを知るのは難しいが、こうなることを予測できた兵士たちはどれだけいるだろうか。旅順攻防戦ではないけれど、そういった戦場で戦うこと。もしかしたら死ぬような、字で書いたとおりの戦死であったはず。

まさか敵に海を抑えられ、飢えと慣れない気候と自然の中で、むちゃな進軍の中で倒れることを予想していた人にとっては、何か、本当に個人的な気持ちなんだけど、靖国に奉られることについて、少しずれている感情を思う。

そもそも、大日本帝国の総力研究所は、アメリカとの戦争は困難という結論を出しているが、それでも戦争を行った。当時の経済制裁などの日本にとって飲めない事情はあった上で行ったのだけれど、それは国民の意識であり、戦争の専門家たちが、どうにかなるという部分から起こされた悲劇でもある。

物資や資源がなく、近代装備が少なく、領土を電撃的に拡大したはいいけれど、都合よく底を済みやすく改善することも出来ない。挙句戦術的に革新を得ること出来ず、負ける中で学ぶも、負け混むスピードに戦術改変が追い付かず対抗できずに敗戦を重ねる。

何も太平洋戦争に限らずだけど、日常でも本当に考えて行動したか分からない出来事は身の回りにも転がっている。普通に考えたらやらないことを、やってしまう人っていうのは少なくない。よく考えたらわかるじゃん…みたいなやつ。

一般的な社会生活でも、そういう、周りから見た軽率な行動で、誰かがしりぬぐいをすることはある。それが戦争で、引っ張られたのが国民かもしれない。それこそ国民の中でアメリカなどに戦争を挑む意欲というものがあれば、大元の焚き付けは軍部か国民かを調べないといけないけれど。

悲惨さから戦争できる国家ではなかった、もしくは戦争計画において多くの失敗の重なりが結果的に敗戦になったともいえる。

当時の海軍のセリフで『1年か2年は存分に戦って見せる』という話がある。仮に2年闘ってバテるという意味ではなく、2年のうちに戦争を終わらせないといけない。あらゆるところで、おおざっぱな計算があり、有利な幻想が起きると信じたうえでの結果で、兵士たちは戦場で彼らのつけを払ったことになる。

ここまで盲目的な、一種これまでの神話に頼り切ったような戦争で、多くのものを見放した戦争だった。国家を守るという意欲はあったのだけれど、それに似合う力は持ち合わせていなかった。国家を守るという大義があって、その大切さを忘れることは出来ないが、それは戦争という解決手段では到達できなかった。

歴史にもしもはない。これだけの人たちが死んで失って、その上で現在が存在している。人類はずっと戦争をしているけれど、この苛烈な結果の上に自分がいることを再認識する。戦争は無茶だったし、やるべきではなかったけど、戦争しないと今の日本はなかった。

現代史っていうのはこの辺りが認識が難しい。