こうやってしんでゆく

今週のお題「2020年上半期」

こういうことをもう考えたくない年になりました。どんどんこんな考えを繰り返して、あっという間に死んでゆくのでしょう。年追うごとに、だから何?っていうか、焦りが減ってきているように感じる。

老いの象徴化。諦めか。

前半何をしていたかを思い出したくもない。会社の査定があって、上司と面談したのは年末だったか?少し定かではない。

んであとはコロナかなぁ。コロナで身内の不幸が重なって2週間ほど休んだ。閉塞感は今でも続いているが、ある程度の行動制限の解除で生活は落ち着いている。ボーナスもおそらく満額出ただろうしね。

仕事は相変わらずきつい。2週間の休みがあったから持っているけど、今別の課題が与えられて、そっちばかりに気を取られているのが自分でもわかる。今の仕事と並行してやれる感じがしないし、課題に全くやりがいを感じない。指名された理由も不明だしね。

後半戦の最初の敵はこの課題のクリアにかかってくる。正直、職場不信の域に達しているけれど、愛して欲しいわけじゃないけど、愛されるためにはそのように振舞うしかない。

イジってほしくないけど、放置もされてほしくない。困った中年像。

仕事ついでに言うと、優秀な人材がいなくなっている。俺が言う優秀な人材っていうのは人当りに関して。仕事なんて言うものはすぐ完璧に出来るわけではないし、本当の理解に至るまでは、それこそ数年かかるものだってある。痛い目だって見る。

最初からできれば上司なんていらないし。そもそも理解したうえでミスは起きるんだよ。交通事故みたいなものだってあるし、達人が必ずしも失敗しない保証はない。

毎日仕事をやれる程度のモチベーションと人当たりの良さっていうのを支えるのが、ベテランであり、職場の同僚というものなんだけど、どうにもそういう舞台を作ることが出来なかった。

俺なんかとりあえずいる程度なんだから、人当たりと毎日出勤できるハートを持っている人が増えれば、俺みたいなやつは居場所がなくなり、それこそ職場のレベルが上がるのになぁ。

なんかさ。そのあたり振り返ると、せめて一種……図々しく生きようって思ってしまう。やりたくない企画の成功を求められていて、なんで俺がやるのかもわからない。でも全力を尽くしたところで、表現として成功するわけもない。

やって駄目なら上司のせい。それくらいの気持ちでいいんだよ。上司は指導するためにいるんじゃないんだよ。俺らのケツを拭くためにいるんだよ。マイルドな安定感なんて狙わず良さ出していこうぜ。

いかん。言い聞かせてる。自分に。