ささえなくとも
今週のお題「理想の老後」
(´A)<いや。ボケねぇ一択だろ。
家族に認知症になっているものがいれば、そう願わずにはいられない。いや、マジで。認知症のケアというものは難しいし、特養に完全におまかせするまでの流れも長い。
徘徊で周辺の人たちに迷惑をかけることだってあるし、認知症の人に合わせた出費だってバカにならない。
そもそもさ、結婚して子供がいるアラサーの紳士・淑女の皆さんも、これからの人生設計の段階に、親がいつごろからボケて、何時頃そういった施設に入れることが出来るとか、そういう外的でもあり、内側でもあるリスクを計算に入れている人は少ない。
嫌ね。本当にボケると思わなかった人がボケるからすごい。そこからはやっぱり家族の負担は必ずある。寝たきりになったおかげでやっと負担が減った。それでもこの10年の負担。その負担額は大きかったと思う。知ってるだけで数十万。
家族が居るから家族で支えて、行くべき方面へ進めることが出来るけど、一人で生きてゆくと、どうなるんだろうねっていうのはある。認知症に関しての解決策はほぼなく。認知症になることで、そこからの医療的だったり、介護的なケアを適正に受けて回復する可能性はほぼない。
人が死に至る病っていうのは、がんや欠陥が詰まったり色々なものがあるんだけど、それよりも自分以外に迷惑をかける。そしてそれを自分で把握できなくなる時が来る。そういう時期が来る可能性がある。
凄く恐ろしいことだと思う。ちょっと前に介護の仕事をされている方とお話したことがあるけど、『まぁ…認知症ですからね』と言わざるを得ない状況もあるようだ。いつも家族の面倒を見てくれている人たちを悪く言うつもりはないけど、そうなんだよ。末期の病気でもない限り、ここまでの扱いを受ける病気は少ない。
実際どうなんだろうね。認知症が例えば脳が委縮する事態がストップしたとしても、失った記憶は戻らないし、適正なレベルまで脳の大きさが戻っても失った記憶は戻らないし、再び記憶していく能力が若いころみたく出来るわけではないんでしょ?
治ったって言える状態があるとは思えない。
年金を受け取る額が少なくなる。年金がいつ手に入るか分からない。そういう話題でテレビで盛り上がっているけど、年金あっても認知症になったら戻れない一本道に入る可能性が高い。こっちを恐怖してみてもらいたい。
世の中の認知症や、その可能性がある年寄りが多いというのに、そういう考えにはならないんだな。
生きているのが当たり前。っていう発想なのがよくわかる。
上にも書いたけど、誰の迷惑もかけずに行きたい。今たぶんギリでそれが出来ている。たぶん職場の人には迷惑かけているけど。それがドンドン迷惑が拡大して行く。何もできなくなる。何もわからなくなる。自分にとっても無念だけど、親しい人たちにも無念だろう。そう思わせる自分になることだけはどうにか回避したい。
なった家族が居ると本当にわかるんだけど、記憶とか理性とか本当に大事なんだって思う。特にその人の全盛期を知っている人にとっては本当にきつい。