おわるとはじまる

(´A)<何かを憎んでもよいのでは

もう少しで学生さんたちの夏休みが終わる。終わると自殺者が増えるようで、タレントさんたちが、そういう事の内容に声明を出したりしている。

夏休みが終わると学校に行かないといけない。生きたくない。自殺の流れなんだけど、これは学校に行きたくない。しかも家族は行くように仕向けてくるってことなんだよね?逃げ場がないからこういうことになるって話?

『死にたくなるほど嫌な事 なんて一つもないぜ。』という歌詞がある。そのバンド解散しちゃったんだけど、今でもよく聞く。でもそれは逃げるという判断が自分が取れるからなんだよな。逃げられる人もいるし、そう判断を取らない人もいる。

死にたいと思うことはあっても、死んでも嫌いな人たちは後悔もしないだろうし、所属している組織や世の中が是正されないだろうし、忘れて生きようとしている。

ただ学生さんは若いこともあるし、行き場を失い亡くなるケースが多い。そういう死に方って何かを恨んで死ぬのだろうか。それとも逃避として亡くなるのだろうか。

でも、もともと学校に行きたくなくて、しっかりと理由があって、夏休みの間にコミュニケーションをとって学校に行かない地盤を作ろうとしたけど、理解が得られない人もいるはず。そういう人たちはどういう思いで死を選ぶのだろうか。

死んだら責任を取らされる人もいる。悲しんでくれる人もいるだろう。でもさ、死んだところで親以外の人にとっては一過性のモノなんだよ。

タレントさんみたく、『あなたは大切な人で、死んではいけない』なんて言えない。家族にとって大切であっても、クラスメイトや先生にとって『大切』というカテゴリーに当てはまるわけなんてないだろう。世の中はそういったものをどんどん飲み込み、本日も平常運転だ。

気分が悪いことに、死んでも嫌いな奴らは生きている。自分だけ居なくなるなんて、それこそ悔しい。死ぬことを代償に呪いでも掛けることが出来ればいいけれど、そんな訳でもなし。死は敗北であり、死は忘却のきっかけでしかない。

親に学校に行くように言われるとつらい。逃げ道が立たれる。そうなるともう逃げ場がなくなるように感じる。正直こうなるとつらい。親せきやほかの人に頼れという意見もあるだろうけど、親からのバックアップがないってキツイ。

正直いじめみたいな問題があると、学校が変わったり対応するわけないんだから、家庭が受け止める決意をしないといけない。

つまり死ぬなと個人に投げかける事より、親に守れよと伝えるしかない。

いじめからの自殺は何度となく報道され、家族が把握し、学校に是正を訴え、その上で亡くなったケースもある。世の中は変わらない。世の中は流れる。なんでもすぐ忘れる。そのうえでしっかり機能する。じゃあ取り残されたものは家族が守ればいい。

守られた人は守ることを覚えるはず。自分の家族のメンテナンスぐらいしっかりしろよ。いじめや不登校の原因は学校にあるけど、見逃した要因は自分たちにある。被害者面出来ない。そういう姿勢が大事。

まぁ。マジで死んだら忘れられる。不登校でも忘れられるかもしれない。でも生きている。再起はいくらでもできる。学生さんたちは自分のために周りを生かしてほしい。周りは、というか家族はしっかり生かせよ。死んだら殺したのは半分家族であることは忘れてはいけない。

そういう意味でタレントさんたちの発想は少しずれている。むしろ学生に試練を与えるハードモード形式。生き残った者の強みですなぁ。

親も、ちょっとしたことで休ませると大人になった時のことを考えると……って思うんだけど、ちょっとしたことと判断した理由が問われる。本当に話聞いたの?ってこと。世の中はもっと親に頑張らせるべき。