力こそがすべて 

(´A)<まず最初に ね

今日は忙しかった。コンディション上がり目でよかった。どこも忙しかったみたいで、いつも冷静な先輩社員まで完全に顔に出ていた。

ああ…人間だったんだなって思う。同時にこっちのしんどさの方がマシだろうと思わされる。なんであんなに顔がゆがむんだ。

昨日のNHKスペシャル天安門特集してたけど、それを見ていた時の俺と同じような表情をしている。あっちの部署では天安門が起きたのだろうか。マジで大変そう。

手伝うことも出来なかったんだけど、ああいう時にフォローできる人数はやっぱり欲しいよ。そもそも受験に誰も応募しないような職場だから、致し方がない。景気もいいしね。でもやっぱりどんな時でも継続的に人員を獲得しないと、月に数回きっつい仕事のビッグウェーブに飲み込まれる。

継続は力なりという言葉を現場レベルで思い知らされる。いつも何となく乗り切れているから、現状維持で行けると誤認識している。しんどいんですけどね。 

FAもないし、ビッグな選手の獲得もないわけで、監督に世界的名称が来るわけでもない。ある意味会社って刺激が少ない。マイルドな地獄。

 

ドッジボールは非人間的

https://news.livedoor.com/article/detail/16597197/

勝利のためなら女子に剛速球を当てることすら厭わない。勝利以上のものが見えなかった俺の小学生時代に、獣の感性を感じる。

小学生時代に、まず人間個人ごとに持つ力の差があって、力こそすべてという環境もあることを数10分で叩き込ませる驚異の哲学的スポーツ。

そこで落ちぶれたものは、学力こそがすべてであったり、強烈な個性がすべてであったり、自分の居場所を探すようになる。いつまでもやっていると恥ずかしいけど、必ず通過するべき自分探しの根源的スポーツ。

やってることは体力や運動神経が優れたやつが、そうでない連中を蹂躙する祭りなだけなんだけど、学校のテストってその逆的な、勉強できるやつが出来ないやつを蹂躙するショーなわけで、点数獲ることに快感を覚え誰かより上に行くことに興奮するやつがいる限り、ドッヂボールも逆説的立場として生き残る。

勉強は頑張ればできるし、ドッヂも練習してキャッチできるときの喜びは半端ない。学校的にはそこを学生的につかんでほしいんだけど、悲しいかな蹂躙劇。

ちょっと前まで時々テレビに映っていた学校対抗のドッヂボールなんかは戦術的に洗練し始めていたが、あそこまで持ち上げられる環境はなかなかない。やはりドッヂボールは力のスポーツ。

大体さ、体育は出来ないやつにとっては何をやっても地獄なんだよ。その地獄感覚がこの競技だけダントツっていう判断は明らかにゴミ。サッカーのハブられはえぐいし、野球系はフライ処理できないと人権はない。

結局生き残るためには努力して居場所を得るために戦うしかない。それはどのスポーツにも共通している。