敵を知り 

(´A)<そうだっけ

無敵の人が起こした殺人事件から1週間以上たち、ヒートアップした著名人たちの熱も冷め始めた。犯人死亡にて幕引きであり、これ以上の掘り返しは難しいかもしれない。

各報道や、タレントさんたちの発言を振りかえると、

『世の中に絶望したのなら、勝手に一人で死ね』という一文に関しての攻防戦が繰り広げられた。事件の背景から、そのニュースを見た人たちの感情が切り取られ、事件への関心ではなく、事件をどの様に認識するかの、一種のイデオロギーの水掛け合いに発展した。

事件に関しての感想は、すぐ出し切られたのかもしれない。あまりに郷愁的で、あっという間に多くの人を傷つけて、自分も死んでおしまい。言い表すことが出来ないから、でも話題性があるから、このニュースの報道姿勢はあっという間に変容する。

犯人の動機は決まっていた。報道やタレントさんの発言を見るとそういうあっという間に出た結論ありきで語られる。

でも振り返ると、容疑者は社会に絶望して死にたくて道ずれを作りたくて、事件を起こしたのか。社会への絶望からの自殺動機ではなく、社会への絶望からの社会への復讐だったんじゃないの。

もちろん弱いものを巻き込むのはいけないことが前提だけど、容疑者の動きにしっかりとした影と、立体感を持たせる考えはこっちに思える。

上手く行かなくて、自分にがっかりするのではなく、世の中にがっかりして、そこからの復讐的な考えに移行したように思えてならない。

容疑者の自宅からは、マスコミが好きそうなエサは見つからなかった。何かのせいにすることはメディア発信ではできなかった。それでレッテルを張って安心するのが日本人的な在り方だっただけに、背景に何も浮かばない事実は、思考の着地地点を失わせ、得体のしれない恐怖を与え、別のレッテルと論点の変更を余儀なくした。

世の中に絶望している人をどうやって救うのか。社会にそんなこと出来るのか。そもそも他人を巻き込むな。勝手に一人で死ね。

世の中の脅威であるはずの無敵の人の生態に触れない。知ろうとしない。難しいことから目をそらしている。敵を知り、己を知れば百戦危うからず。古事の実行がこれほど難しいとは。

凶悪犯罪者の精神状態や、何を求めていたかを知ることは、凶悪犯罪者に心を開くのではなく、凶悪犯罪者の真実に迫り、それを知った自分の精神状態を知ることで、百戦危うからずの状況を作るんだけどなぁ。